サンパウロ市内には、ポルトガル語を話せないにもかかわらず市内中心部の店舗を買収したり東部地区の高級マンションを購入している中国人、ブラス地区やパリ地区で衣料品店を経営するボリビア人、医者や歯医者、薬剤師の資格を持つナイジェリア人やアンゴラ人をはじめとする外国人移住者が増加し続けています。衣料品店経営で資金を増やした韓国人の青年実業家らは、かつてのユダヤ人移住者らがそうであったように、イジエノーポリス区へ住居を移して生活しています。
地元メディアによると、イタリア人のガエタノ・ペッジ氏が129年前の1882年1月17日に最初の移民として移住して以来、サンパウロ市はイタリア、スペイン、レバノン、日本、ポルトガルなどから多くの移住者を受け入れてきました。最近20年間では、ホン、キム、ヤン、ビラール、オグンメといった姓名のアジア系、アフリカ系、ラテン系の人種60万人がサンパウロ市民になるために苦労を重ねています。