中南米の最新情報

NPOチャレンジブラジルが、ブラジルを中心に中南米のニュースをお届けします。

元勝組のリーダー、30年の逃亡生活

 第2次世界大戦中、日本の勝利を信じる勝ち組みの若者たちが、敵性国の危険人物として警察に拘引されることが絶えませんでした。1943年、パウリスタ線ツッパン地区の勝ち組み青年リーダーだった高野勇さんは、敵性国の危険人物として警察に拘引、拷問に近い取調べを受けました。あまりの過酷な取調べに耐えられず脱獄、警察の手が届かない南マットグロッソ州の奥地リオ・キッテリアへ逃亡し、追跡が終わるのをじっと待ったのです。
 当時、勇さんは働き盛りの25歳。その後、広島出身の女性と結婚、12人の子供をもうけましたが、依然捜索は続いており、婚姻届と出生届は出しませんた。このため、子供たちは就学齢に達しても学校にいけず、今でも全員読み書きはできないといいます。終戦から28年目の1973年、警察の追跡はもうないと判断、婚姻届と出生届を出し、夫人も同棲相手から妻となり、子供たちも私生児からやっと開放されました。
 福島県の実家とは没交渉のため、実家は生死も分らないた勇さんの失踪を宣告。戸籍謄本には「昭和18年11月1日死亡と見なされる。昭和48年4月5日失踪宣告の裁判確定。同月兄から届出除籍」と、既に死亡扱いをされていました。
 ところが実際は、今年3月、南マットグロッソ州で83歳で亡くなるまで、長寿を全うしたのです。なお、子供たちは全員読み書きはできないが、力を合わせて働き、今では南マットグロッソ州に3つの農場を所有、300頭の牛を持つまでになったそうです。
 勇さんは30年間、ずっと逃亡生活をしていたわけですが、今考えれば、勝ち組のリーダーだったとはいえ、戦争の犠牲者だったともいえます。