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74年前の約束を果たした95歳の米国人ジョルダンさん

野球ボールをトメアスーに寄贈

 サンパウロ新聞の堤剛ベレン支局長によると、戦時下の1942年、パラー州(アマゾン)トメアスー入植地を訪れた米国人ジョルダン・ヤングさん(95)が、日本人移民に約束した野球ボール寄贈を74年ぶりに果たしました。ジョルダンさんは約束後米国へ帰国したため、約束を今日まで果たせないままでした。本年5月30日、ブラジル留学中の孫娘に付き添われトメアスーを訪れたジョルダンさんは、第1回アマゾン移民の山田元(はじめ)さん(89)へ米国から携えてきた1個の硬式ボールを手渡し、「これでようやく、あの日の約束を果たすことができました」と74年目に約束を果たし、満面の笑みを浮かべました。
 74年前ジョルダンさんはサンパウロの大学へ留学中で、新聞によって米国と日本との開戦を知りました。即座に米国大使館へ行き母国への帰国手続きを始めましたが、「船便の順番待ちをしている間、仕事をしないか」と大使に調査の話を持ちかけられました。調査は、ロックフェラー財団が実施していたブラジル労働者の労働条件を調べる仕事で、ジョルダンさんはミナス・ジェライス州フォルタレーザでの実態調査に従事しました。同地での調査終了後、今度はアマゾン地方での衛生状態調査の仕事することになり、すでに調査を始めていた海軍軍医2人とべレンで合流、チャーター船でトメアスー日本人入植地へ向かいました。この時は第2次大戦が始まっており、トメアスーへ向かう船中でジョルダンさんらは緊張し恐怖心もありました。
 2日目にトメアスーの桟橋に接岸すると、米国人の訪問を知らされていた日本人移民たちは皆、硬い表情で到着を待ち構え、中には小銃を手にしている人もいました。ジョルダンさんらは緊張しましたが、調査団の目的を知った入植地の人たちは調査に協力的で、特に野球が両者の共通の話題となり、打ち解けた雰囲気になりました。この調査で、日本人移民たちの食生活は野菜を豊富に摂取しており、割に質の高い食事をしていました。入植地内も思っていた以上に衛生的で、使用されている抗生物質も品質の良いものでした。
 ジョルダンさんらは停泊していた船内に2泊し、3日目にべレンへ引き上げましたが、ジョルダンさんが乗船直前、日本人移民の一人が「入植地内で不足している野球ボールが手に入らないだろうか」と相談を持ちかけました。「分かりました、何とかしましょう」と約束した同氏は、その後サンパウロへと戻り、1945年に米国へ帰国しました。戦争の混乱や帰国後の日常生活の煩雑さに紛れ、トメアスーの日本人移民と約束した野球ボール寄贈の件はいつしか記憶の片隅に追いやられていきました。しかし、約束を忘れたことは一度もありませんでした。

孫の案内で再びトメアスーの地へ

 今回ジョルダンさんは、バイア州の大学へ留学している孫のマルガレッテさん、サンパウロ仏教の僧侶をしている甥のグスターボ氏の案内で、再びトメアスーの地を踏みました。高齢の身で、リスクのある海外旅行を決行したのは、「あの時、日本人移民と交わした約束を絶対に守りたかった」という熱い思いからでした。
 ジョルダンさんが米国から携えてきた純白の野球ボールは、トメアスー入植地唯一の第1回アマゾン移民生存者である山田氏が同地を代表して受け取りました。この記念すべき硬球はトメアスー農業振興文化協会内へ保管される予定です。「すごい話で驚きました、ボールは文協で大切に保管します」と同文化協会の乙幡敬一会長は感動の面持ちで、山田氏から野球ボールを受け取りました。
 写真:ジョルダンさん(左)から硬球を受け取る山田氏(サンパウロ新聞)