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小野田寛郎さん、サンパウロ市で講演

 第2次世界大戦終了後、29年間フィリピンのルバング島で孤独な戦いを続け、帰国後にブラジルに移住した小野田寛郎さん(89、和歌山)が、サンパウロ市の日本文化福祉協会講堂で講演(サンパウロ新聞主催)しました。小野田さんは講演で、「皆さんはブラジルですでに自立しているので、日本国からの援助はいらないと言いましょう」と呼びかけ、ルバング島での体験を交えながら「人間は自分一人では生きていけない。周りの人に感謝をしなければ」と横行する個人主義に対して警鐘を鳴らしました。
小野田さんは1922年生まれの89歳。現在の和歌山県海南市出身。中国の貿易会社で働いていた42年に徴兵召集を受け、英語や中国語が話せたことから陸軍中野学校二俣分校で情報将校として教育されました。終戦後も部下3人とともに戦闘を継続。29年間、山中でゲリラ戦を行いながら生活し、帰還した後、「部下が銃撃戦で撃たれたが、我々には薬もなく、人間の持つ自然治癒力のみで治すしかなかった」と壮絶な経験を語り、「自分の身は自分で守るということは当たり前のこと。今の日本人は戦争で負けアメリカに骨抜きにされ、自分の国を自分で守るという気概のない憲法を作った。ジャングルではそういう者は、原則生きる資格はない」と日本に対する痛烈な批判を浴びせました。日本帰国半年後(74年 10月)に兄弟の住むブラジルへ移住。南マット・グロッソ州で1200平方メートルの小野田牧場を開拓。現在は、牧場経営に勤しんでいます。
 牧場経営の傍ら、1980年に起きた「川崎・浪人生金属バット親殺し事件」に心を痛め、青少年の健全育成に寄与するサバイバル塾「小野田自然塾」を山形県に開校。自らの経験を生かして、自由で自律的な子どもの育成を行っています。
 小野田さんは、「ルバング島で裁縫用の針を作ろうとしたら、男2人で試作品を作るのに2日かかった。3日目でようやく針が9本できた。これが自分の力の限界。社会では周りの人がいるから自分がいるということを忘れてはいけない。自分の権利や自由ばかり叫ぶのではなく、マナーや優しさを大事にしましょう」と呼びかけ、日系人に対して「ブラジル人だけど顔は日本人。日本人の良いところを生かしましょう。そしてすでに自立しているので、日本国からの援助はいらないと言っても良いのでは」と日本からの精神的な自立を求めました。
 講演後に行われた質疑応答で「国歌斉唱を拒絶する教職員についてどう思うか」と問われると、「国歌概念が足りない日本教職員組合のバカ教師が、 国民が団結すると戦争につながると考えているからそのようなことが起こっている。国歌を歌うことは自然なことだ」と一刀両断。会場からは大きな拍手が起きました。
 会場前列で講演を聞いたブラジル被爆者平和協会の盆子原国彦副会長は「正しい歴史教育を行い、日本の子どもに自信を持たせるものにしなくてはい けない」と感想を述べ、昨年、コチア青年連絡協議会の3世研修訪日団の副団長を務めた杓田美代子さんは「今年の訪日団のスケジュールに小野田さんの 自然塾訪問を加えることはできないだろうか」と小野田さんに心酔した様子でした。
 小野田さんは2004年に日本人として初めてサントス・ドゥモン勲章、05年には藍綬褒章を受章。現在も、日本とブラジルを往復する多忙な日々を送っています。